高麗人参の深い歴史

数多くある漢方薬の中でも昔から日本人に馴染みが深く、最も良く知られているものといえば高麗人参です。
高麗人参は2000年以上もの非常に古くて深い歴史があります。

高麗人参のはじまり

元々、高麗とは918年から1392年まで続いた朝鮮半島の国の名前です。
高麗は英語のKorea(コリア)の語源でもあります。
高麗で栽培されたのが高麗人参のはじまりだという説がある一方で、高麗人参は2000年前、すでに中国の文献に登場していることから、高麗以前から使われていたという説の両方があります。

中国では秦の始皇帝が自生している高麗人参を探し求め、世界の三大美女の一人、楊貴妃も愛用したと伝えられています。

野生の高麗人参は北朝鮮と中国の国境、白頭山の山裾に自生していることから考えると、高麗人参のはじまりは高麗(朝鮮)と中国の両方であったのではと推測できます。

日本に高麗人参が伝わり普及したのは?

日本に高麗人参が伝わったのは奈良時代、旧満州の南東部から朝鮮半島北部、ロシア沿岸にかけて存在した渤海国の使節から聖武天皇に献上されたという記録が残っています。

室町時代になると朝鮮、中国から高麗人参の輸入が始まります。

安土桃山時代の1592年、豊臣秀吉は国内に自生しない高麗人参の種を朝鮮出兵時に入手し、軍師、黒田官兵衛が栽培の研究を行いましたが、成功には至りませんでした。

江戸時代には徳川家康に愛用されました。
日本国内で栽培できない高麗人参は非常に高価なうえ、入手できる量も少なく、口にすることができるのは特権階級に限られていました。
当時、高麗人参を入手するために、銀と交換する程にもなり、その効能が高く評価されました。

八大将軍徳川吉宗の時代にその栽培が成功すると、国産の高麗人参の生産が始まり、財政難を手助けするための手段としても、高麗人参の栽培が奨励されました。

吉宗から各大名に栽培のための高麗人参の種子が与えられ、御種人参と呼ばれたのが、現在の高麗人参の学名、オタネニンジンの由来になっています。

1789年から1801年、幕府の管理下に置かれた高麗人参の栽培は専売制となり、日本の各地で栽培されるようになりました。
吉宗の頃からこの時代にかけては、国内での高麗人参の栽培と普及に、並々ならぬ関心が集められた時期です。

時代と共に、国内の高麗人参の栽培の技術は上達し、平賀源内が改良した高麗人参の栽培方法について文献に記し、さらに広く普及していくきっかけを作りました。

現代の高麗人参

海外の産地

朝鮮半島の王朝下では高麗人参は国家の貴重な資源で、個人での栽培は許されず、国が栽培方法や研究を取り仕切っていました。
しかし現代では北朝鮮南部の開城市、韓国の忠清南道錦山郡、仁川広域市江華郡などで栽培されています。
中国 は白頭山が産地として有名です。

国内の産地

日本国内では、福島県会津地方、長野県東信地方、島根県松江地方が高麗人参の産地として有名です。
現在では、栽培方法や効率が上がり、高品質な高麗人参が作られています。
とはいえ、円高による栽培農家の減少、サプリメントの普及に伴い、高麗人参は圧倒的に外国産が高いシェアを占め、国内産は非常に少ない生産量しかありません。

国産品の特徴

高麗人参の栽培は非常に過酷で、土壌作りから収穫まで4年〜6年もの歳月が必要です。
高麗人参は、土地に含まれる栄養成分をすべて吸収してしまうため、安全性が気になるところです。
その点、国産の高麗人参は安心度が高いといえます。
しかしその反面、国産品は外国産に比べ価格が高価になるのも事実です。

高麗人参の効果効能が証明されるようになったのは、それほど前ではありません。
しかし大昔から高麗人参の薬効は人々に伝えられ、利用され、重宝されてきました。
今後も高麗人参は私達の健康を支える手伝いをし続けてくれるに違いありません。
Columnおすすめの関連コラム
トップに戻る